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演出家の意図と芸術――和田ながらさんに『擬娩』(KEX版)について聞く

2021年10月16~17日、KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)で上演された和田ながら×やんツー『擬娩』。初演は2019年、和田ながらさん率いる演劇ユニットしたための主催で、したため#7『擬娩』として、京都(12月6~9日、THEATRE E9 KYOTO)沖縄(12月13~15日、アトリエ銘苅ベース)で上演されたもの。

関西で活躍する俳優と共に作り上げた初演に対し、KEXでの再演では、10代の公募出演者3名を迎え、全く異なる形で作り変えられていた。10代の出演者と共に作り上げるというのはどういうことをもたらしたのか。あるいは作品と演出家の意図について、和田さんに詳しくお聞きした。

■KYOTO EXPERIMENT

――今回の『擬娩』は、京都で毎年行われる国際芸術祭、KYOTO EXPERIMENT(以下、KEX)で上演されました。

和田ながら(以下、和田) KEXは私にはなじみの深い場所で。実はもともと、フェスティバル事務局で働いていたんです。

――2010年のKEX誕生の年から2018年まで、制作に和田さんの名前がクレジットされていますね!KEXの事務所にはどのように入られたのでしょうか?

和田 大学生(京都造形芸術大学芸術学部映像・舞台芸術学科)の頃から制作助手や演出助手といった立場で様々な現場に入らせてもらう機会があり、そのつてもあって、フェスティバルが始まって3年はプロジェクトごとのスタッフをやっていました。初回の2010年は、高山明さん(Port B)の『個室都市 京都』でプロジェクトメンバーに入ったり、渡邊守章さんの『アガターダンスの臨界/語りの臨界―』で舞台監督助手についたり。2013年からは事務局スタッフとして、年間を通してKEXに関わるようになりました。

――KEXの事務局で一年中?

和田 はい。フェスティバルの開催期間は受付や現場に入りましたし、それ以外の時期は事務所に通って主にデスクワークをしていました。開催中はもちろんすごく忙しいのですが、一方で、フェスティバルとは別の時期に自分の公演があればまとまった期間のお休みをいただけたりと、アーティスト活動にも理解ある職場でした。

――何がきっかけで演出を行うようになったのでしょうか?

和田 学部4回生の時、大学の小劇場で行った卒業制作公演が初めての演出です。その後、KEXの仕事やフリーランスの制作業をやりながら、自分のユニット「したため」を立ち上げ、演出家としての活動を続けていました。ちょうど30歳になったころ、岡田利規さんが作・演出をつとめるチェルフィッチュが演出助手を公募しているという情報を見つけました。チェルフィッチュの作品はもちろん観ていましたし、学部生の時には岡田さんの集中講義を受けたり、KEXでチェルフィッチュの公演の担当スタッフをつとめるなど、以前から岡田さんやチェルフィッチュとご縁はあったのですが、クリエイションの現場に入ったことはありませんでした。当時は演出家として活動して8年ほど。自分の稽古場ばかりではどこか硬直していくような感覚もあり、自分以外の演出家の稽古場に参加して新しい刺激を得たいという思いが生まれ、思いきって演出助手に応募しました。そうしたら、チェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム山』(2019年)の演出助手に入れていただけて。『消しゴム山』の初演はKEXだったので、2019年は事務局を離れて、岡田さんの現場のスタッフとしてKEXに参加したことになります。

そんなこんなで、2010年から10年間、演出家としての活動と並行してずっとKEXに関わっていたんです。2019年のフェスティバルを最後に橋本裕介さんがプログラムディレクターを退任され、3人の共同ディレクター(川崎陽子さん、塚原悠也さん、ジュリエット・礼子・ナップさん)に交代。私はそれまでずっと「中の人」だったので、新体制のフェスティバルはいち観客としてめいっぱい楽しもう、と思っていたところに、『擬娩』の上演のお話をいただきました。

■10代の出演者

――KEXでの『擬娩』では、10代の出演者が公募されました。

和田 THEATRE E9 KYOTOで『擬娩』の初演をご覧になった川崎さんとジュリエットさんが作品のコンセプトを面白がってくれて、KEXでもやりませんかと声をかけてもらいました。また、フェスティバルとして若い世代とも積極的に関わっていきたいということで、10代の出演者を公募する、という提案をいただきました。すごくいいアイディアだと思って、すぐに「やりましょう」とお返事した記憶があります。『擬娩』であれば、30代と10代が、大人と子ども、という関係でなく、妊娠・出産未経験者という同じ地平に立ってクリエイションができる、という確信があったからです(*1)。

(*1) 「広辞苑によれば、擬娩とは「妻の出産の前後に、夫が出産に伴う行為の模倣をする風習」。この極めて原始的かつ“演劇的”なフレームを借りることで、男女の出産未経験の出演者たちは、“母だけが可能”とされてきた妊娠・出産体験を舞台上で解放し、シミュレートしていく。」というのが、本作のコンセプト。

――実際やってみてどうでしたか?

和田 とても面白い経験でした。彼・彼女たちの生活は、自分の10代のころとの共通点もあれば、違う部分ももちろんたくさんある。デジタルネイティブで、サブスクやSNSであらゆるコンテンツを摂取していて、K-POPで盛り上がる。ジェンダーのこと、差別のこと、社会のことについて、身近な問題として捉えている。ことさらに強調しなくても、彼・彼女たちならではの視点や考えが作品に自然と影響を与えていったように思います。

――稽古はどのように進められたのでしょうか?

和田 初演でもそうだったのですが、まずは妊娠・出産に関する情報を調べたり、出産経験者の方にインタビューするところから始めました。8月に顔合わせも兼ねてワークショップを数回行い、9~10月は本番に向けた稽古を行いました。

――今回出演した10代の3人は、中学生と高校生で、プロの俳優ではありません。

和田 初演では私と同世代か少し上の年代で、俳優としてのキャリアが長い方々と創作しましたが、そういった俳優としての経験や技術によって実現できるパフォーマンスとまったく同じことを10代のメンバーに求める、というやり方ではもちろんうまくいきませんし、そもそもそうしたいわけではなかった。今回はこの3人と一緒につくるからこその作品にしたい、と思って出てきた方法が、生活のルーティンへのさらなる接近です(*2)。稽古を本格的に行った9~10月は授業が普通にある時期なので、3人は学校に行ってから稽古場に来るわけです。授業や部活や宿題と『擬娩』の稽古場を行ったり来たり、生活の延長でクリエイションする、という時間の過ごし方が、作品にとって非常に重要だったと感じています。日常から切り離された合宿のような環境で制作していたら、まったく違う作品になっていたかもしれません。

(*2) KEX版では、出演者たちは起床から就寝までのそれぞれ自身の日常生活を、非妊娠時、妊娠検査薬の陽性反応確認、妊娠初期、中期、後期、と反復しながら、妊娠生活をシミュレーションした。

――上演を観て、10代の出演者自身がどう擬娩するか、ということが非常に大事にされているように感じました。彼らに擬娩という行為をそれっぽく演じさせるのではなく、彼ら自身が本当に擬娩したんだ、ということが、舞台上にあげられていたように思います。

和田 初演とも共通していますが、この作品で最も大切にしていたのは、普段の生活の中に妊娠・出産というフィクションを重ねるシミュレーション、出演者自身が擬娩するという行為そのもののあり方です。たとえば、ほんとうに妊娠しているかのように見える、といった演技のテクニカルな部分よりも、出演者自身の行為の質の方が私にとっては重要でした。

■舞台芸術と社会批評

――今回の公演については劇評が沢山出ていますが、作品の社会批評としてのユルさを指摘するものもいくつかあります。例えば出産の場面(*3)、30代や10代の男性ではなく、高校2年生の女性(杦本まな保さん)が代表して出産します。

(*3) 舞台終盤、妊娠した全ての出演者を代表するかのように、一人の出演者が観客に向かってモノローグで状況を解説しながら出産する。

和田 指摘されていることは、よくわかります。そして、言い訳をするつもりもありません。今回は「まなざされる」こととの軋轢を、非常に感じた作品でした。

――誰があのシーンを行うかは、どのように決めたのでしょうか?

和田 稽古ではあのシーンを出演者全員に試してもらいました。その上で杦本さんに決めた理由は、第一に、杦本さんのパフォーマンスには私にとって抗いがたい魅力があったこと。杦本さんという、最も妊娠・出産の可能性が高いと目される年齢の女性に陣痛から分娩に至るシーンを担わせる、という点が、今作の社会批評性の弱さのひとつとして指摘されているのだと理解していますが、一方で、杦本さんのような人物をあのシミュレーションから疎外してよいのか、ということを、配役を検討していた時にずっと考えていました。杦本さんは、出演者の中で妊娠・出産可能性が現実的に最も高い人物に「見える」。でも、そう見えているだけなんじゃないか。シスジェンダーでヘテロセクシュアルの女性ではないかもしれない。さまざまな理由で、妊娠・出産できない可能性だってあるかもしれない。適齢期内にいる女性という属性だけでくくること、そこからやってくるプレッシャーのようなものと自分は葛藤していたのではないか。もともと擬娩は妊娠・出産ができない男性が行う行為ですが、単に「可能性」が高いだけで妊娠・出産をするともしないとも、あるいはできるともできないともわからない宙吊り状態にある女性があのシーンの「擬娩」を代表することにも、この作品を自分がやろうとした意味があるんじゃないのか、と。

Ⓒ 和田ながら×やんツー『擬娩』(2021) 
撮影:白井茜 提供:KYOTO EXPERIMENT

――初演では、男性の俳優が出産シーンを演じました。

和田 初演も同じように全員で試して、このシークエンスをもっとも魅力的にパフォーマンスしてくれた俳優に演じてもらいました。初演では男性に男性として陣痛から出産を演じてもらいましたが、今回は女性に女性としてやってもらった。私にとっては、同じことなんです。

――女性による擬娩と男性による擬娩では、社会的な意味が全く異なるように解釈されます。

和田 はい、よくわかります。初演は、あのシーンは男性が担うほうが社会批評性が高い、という私自身の演出家としての企みと、俳優のパフォーマンスの良さが合致しています。でも、女性が代表して出産シーンを担うと、なぜ社会批評性が低いということになるのか。男性にやってもらえば「良くできた作品」になれるのだとしたら、それはなぜか。じゃあ、作品の社会批評性を高めるために、杦本さんの女子高校生という属性と石川(大海)さんの男子高校生という属性を消費するのか、と想像すると、演出家としての企み、なんていう自分の小賢しさに心底うんざりしました。そんな小賢しさはリセットして、自分にあたうる限り誠実に、今回の出演者たちと向き合いたいと思いました。

――もう一つ、機械の「生産」を語るセグウェイの声が女性であることにも、疑問が出されています。

和田 セグウェイの声を担当したのは、出演にクレジットされていますが舞台上にはあらわれなかった松田早穂さんです。松田さんはクリエイション期間中にご事情があってご自宅をなかなか離れられないという状況になってしまったのですが、上演に関わりたいという松田さんの意思を受け、あの形でクリエイションを進めました。

――演出家が芸術的意図のもとで企んだわけではなく、状況がそうさせたものだった。

和田 もちろん観客にはそんな内幕はわかりませんし、わかってほしいわけでも、言い訳することでもありません。それと同時に、セグウェイの声が女性のものであることの批判も、もっともであるとも思っています。

Ⓒ 和田ながら×やんツー『擬娩』(2021) 
撮影:白井茜 提供:KYOTO EXPERIMENT

――観客にとっては関係ない部分ですが、創作者にとっては非常に現実的で切実な問題への取り組みの結果であった。また、そうしたからといって、果たして批評的な強度が弱いと言えるのか。実はもっと強く、現実的な社会批評性を持たざるを得なかったということなのかもしれません。

和田 作品として提示する時に、全てが演出家の企みで、コントロールされた、よくできたものを見せてくださいね、という眼差しにさらされますよね。今までだってそうだったに違いないのですが、今回はその眼差しの強さを改めて感じるとともに、『擬娩』において大切にしようとしたこととその眼差しとの齟齬について深く考えることになりました。

――『擬娩』が大切にしようとしたのは、出演者が擬娩する、ということでした。

和田 もともと「擬娩」というのは誰かに見せるための習俗ではありません。観客が見る、ということが演劇では重要ですが、見せることは「擬娩」の本質ではない。擬娩という行為によって起こる変容は、擬娩を行為している当人に起きるんです。

――今回一番得をしたのは、実際に擬娩した出演者たちですね。

和田 そうかもしれません。もちろん観客に見せるということをもちろん考えながら作ったけれど、観客に向けてととのえたものをお見せする、というよりも、出演者たちの擬娩をのぞき見してもらう、という感覚の方が近かったかなと。

■舞台芸術と日常

――先ほども言及されましたが、見た目が女の子っぽかったら中身も女の子なのか、という問題があります。現実世界では既にそうではないと言われているにも関わらず、舞台芸術の作品内では、記号論的にそれが正しいとされたままになっている。また、妊娠・出産という日常と地続きにならざるを得ないテーマで、さらにジェンダーの問題が常にセットとなって付きまとう時、自分をどういう属性に置くか、相手をどういう属性に置くかは、非常に難しい問題です。

和田 はい。クリエイションではそうしたことも話し合いました。特に10代の方々は、自分がこれからどうなるのか、全く未知数の状態です。それを一方的にどうこうと決めつけて進めることがないように気を付けて稽古を進めていきました。

――シスヘテロの女性で妊娠・出産適齢期であっても、実際に妊娠・出産できると決まっているわけではありません。

和田 妊娠・出産に最も近い属性であるからこそ、引き受けざるを得ない葛藤もあります。自分の人生において妊娠・出産をどう位置づけるのか?その位置づけがクリアにできたとしても、望んだからといって思い通りに妊娠できるとは限りません。そして、年齢が上がれば妊娠できる可能性は下がっていく。自分自身も、そういったプレッシャーを感じ続けていたんだなと思います。

――その齟齬に苦しむ人がいる一方で、受け入れなくても良い人もいます。

和田 初演の時、つわりで気分が悪くなり嘔吐するさまを俳優が演じるシーンで、笑い声が客席であがったんです。観に来ていた私の友人が、「なんでここで笑えるんだ」ってめちゃくちゃ怒っていた。つわりで苦しい思いをするということを、自分事としてではなく、自分から切り離して見ることが出来る人も客席にいる。一方で、同じく初演の時、パートナーが妊娠している男性が、妊娠した人のすぐそばで生活しているにもかかわらず、『擬娩』を見ることでいつも以上に妊娠について考えて想像した、と感想を熱心に伝えてくださいました。いや、普段から想像してほしいな…と思いつつも、身近な存在ほど想像力を向けづらい、というのもよくわかります。そして、演劇を経由することで身近な場面に想像力がめぐらされていく、というのは、フィクションのひとつの機能だと感じました。作品の見方や関わり方、当事者性が、客席にいる人の数だけ、それぞれ違う。それがここまで際立ったのは初めての感触で、このモチーフならではだと感じました。

――作品を通すことで、暮らしの理解が深まることがあります。また、妊娠・出産が舞台にあがる、ということだけで、「妊娠・出産について考えるんだ」という、社会的なメッセージがあります。

和田 『擬娩』以前の作品では、自分が女性であるという感覚と自分がつくる作品は、あまり結びついていませんでした。シスジェンダーでヘテロセクシャルであることで、社会との摩擦を、作品の主題として扱うほどには感じずに済んでいたのかもしれません。『擬娩』は初めて自分のプライベートな感覚を作品作りの動機にした作品です。30代になり、20代のころには考えることそのものを延々と先送りにしていた妊娠・出産に対して、自分なりのなんらかの回答を出す必要を感じているけれども、日常生活の中ではうまく考えられなくて。でも、作品のモチーフにすれば、考えざるを得なくなる。だったら作品にしてしまおう、と。

――今回の作品を見て、過程を知りたい、と思いました。過程を知って公開したら、何かが変わる、と思ったんです。私(岡田)が大学院生(大阪大学文学研究科・演劇学研究室)だった時、演劇研究をするにあたって、作品だけを見てはいけない、内部資料をもらってくるように、と、指導教員に言われました。過程を晒すということがものすごく大事なのに、現実にはあまり行われていないと言うんです。当時の私は、本人たちがやりたくないならやらなくてもいいのではないかとふわっと思っていましたが、最近は、テーマ性があって社会全体として考えるようなものの場合には、過程を公開することが大切だと、本気で思うようになっています。なぜならそういうものが持つ究極の目的は、社会が変わること。社会が変わるためには、過程で行われた議論も含め、様々な考えを共有し、積み上げていくことが大切だからです。

和田 KEXでは、8月に行ったワークショップに対してのメンバーの感想を公開したりやんツーさんと私の対談を行ったり批評プロジェクトの対象作品に指定していただいたりと、過程や上演後の言語化にも丁寧に取り組んでいただきました。劇評もたくさんいただいて、それぞれの書き手がこの作品を通して考えてくださったことはとてもありがたく、刺激にもなりました。

――観客からの批評に対し、作り手が考えようとしている大切なことを応答として加えることで、更に議論が深まるのではないかと思いました。このインタビューは、作り手の意図や状況を観客が常に知っておく必要があるなどと言いたいとか、あの場面の実際は…と種明かしをしたいとかいうわけではありません。この作品のテーマをより浮かび上がらせるために、観客それぞれの立場、作り手の立場、それらの差を可視化することが重要だと思って行っています。

■ポジティブな側面の描き方

――作品では出演者の日常と結びついた、とても個人的な擬娩が行われたわけですが、舞台芸術としてパッケージ化されると、私(垣沼)は観客として、皆で共有できそうな普遍性に目がいきます。今回で言えば、社会問題としての妊娠・出産。既に日常のレベルで、様々な課題が指摘されています。

和田 クリエイションの過程では、社会における妊娠・出産の位置づけについてもリサーチを行いました。書籍にもあたりましたし、代理出産や不妊治療について検索したり、電車で妊婦が心無い扱いを受けることがあるという投稿をSNSで見たり。とにかく問題が山積みだということがわかり、情報に触れてはその度にがっかり、ぐったりしていました。そういった「社会問題」をうまく『擬娩』に挿入する、ということを考えなかったわけではありませんが、自分がこの作品でやりたいこととは違うような気がして。初演でも再演でも、妊娠・出産にまつわる情報を膨大に摂取するのと同時に、自分たちが今どのような暮らしをしていて、その暮らしの中で妊娠したらどうなるか、自分たちの日常に踏みとどまるということを重視しました。

――今回もう一つ気になったのが、社会問題とされていることのポジティブな側面の描き方です。初演とは異なり、妊娠・出産が比較的ポジティブに表現されていました。

和田 8月に顔合わせした時に、10代の3人に初演の記録映像を見てもらったんです。そしたら皆黙っちゃって。感想を尋ねたら、「怖いです」って言われたんです。ガーン、ってなったんですけど、その通りだなと思いました。確かに2019年の初演の時、私は妊娠・出産を怖いと思っていた。だから、怖い作品になったんだと思うんです。でも、10代の子たちを自分の怖さに付き合わせるのは違うなと。

――10代の出演者たち自身の擬娩を大事にしたい、と。

和田 そうですね。初演を経て、私自身も妊娠・出産をむやみに怖がるということもなくなり、10代のメンバーが抱いている妊娠・出産のポジティブなイメージにも落ち着いて目が向けられるようになってもいました。10代の参加だけでなく、会場の空間性、やんツーさんとのコラボレーションなど要素はさまざまにありますが、本番では風通しのよい景色を本番で見られたなと思います。自分にこんな作品が作れるのかと、自分が一番驚きました。

――ポジティブ面を描くと、ある面で体制に取り込まれたり、抑圧を増やしたりする危険もあります。

和田 そのバランスには気を配りました。単純な妊娠・出産賛美に陥らず批評的な視点も忘れずに、かつ演劇というフィクションとして成り立たせるためには、どうすればよいか。この作品は、誰と一緒にやるか、が非常に大きい比重を占めています。初演も再演も、価値観について正直な話ができるような信頼関係を築ける方々とご一緒できたからこその作品だったと思っています。

――3Dプリンターやセグウェイ、巨大なスマホの画面など、舞台上にある様々な機械も、人間の妊娠・出産を相対化する存在でした。3Dプリンターやセグウェイといった機械の「出産」を、恐怖ととるか、未来ととるか、人間の出産を相対化しうるものとして見るのか、人間の出産と管理の現実を暴くものとして見るのかも、観客によって違いますよね。

和田 その通りです。

■演劇界と妊娠・出産

――最後に、和田さんが考える、妊娠・出産と演劇界について、教えてください。30代になって妊娠・出産を考えてみようと思われたということでしたが、アーティストだと難しいのでしょうか。

和田 20代の時は演出家としてのキャリアがまだ浅く、活動を多くの人に認知してもらうためにも自主企画をまわし続ける必要がありました。子どもを産むと絶対に活動できなくなる、とまでは思っていませんでしたが、そのキャリアの段階で一定期間公演を打たない時期ができると、モチベーションとしても状況としても、もう同じところには戻ってこれないんじゃないかと思っていました。今は、多くの方に私の活動を知っていただいている実感もありますし、上演一辺倒だけが活動じゃないということもわかってきたので、もし出産や育児でしばらくお休みしても続け方を考えられるんじゃないか、とまだ希望を持てますが、そういう感覚を得られるまでは依然として悩ましい問題だろうと思います。

――業界のキャリア継続のシステムが、妊娠・出産を視野に入れた設計になっていない。

和田 芸術大学の学生の男女比は圧倒的に女性が多いですし、いくつかの演出家のコンペに参加した経験を振り返っても、本選のような段階に残っているのは女性の演出家が多かったように思います。一方で、コンペの審査員の構成は男性に偏っていたこともあります。指定された課題戯曲はジェンダーをどのように扱うかが重要だと思われるにも関わらず、審査員は5人中4人が男性だとか。おそらく、審査員といった立場をつとめるキャリアの段階の前に辞めてしまった方がたくさんいらっしゃるんだろうなと想像しました。一方で、私より少し上の世代には、子育てと活動を両立しているタフな女性たちも多くいらっしゃいますし、同世代にも子どもを持ちながらのキャリアづくりをしている人たちが増えています。これから徐々に状況は変わっていくと思います。妊娠・出産をする・しないに関わらず、多様なキャリアのあり方、いろんな生き方ができるようになるといいなと思いますし、そのために自分にもできることがあれば、力を注いでいきたいと思います。

2022年3月9日 saredoかふぇ&DININGにて

インタビュアー:岡田蕗子、垣沼絢子

文責:垣沼絢子